終わりに
今回、日程には余裕を見ていたつもりだが、被災地での滞在時間は結局たいへん限られたものとなってしまった。一つには、移動そのものにかなりの時間を要したからである。土砂崩れなどによる道路の寸断という状況はなかったが、移動は決して楽なものではない。また日本からの送金の受け取りに大幅な遅れが生じたことから、カシミールでの住宅建設の現状を確認することはできなかった。 大手のNGOが連絡をとりあって、今後広大な山間部を網羅するような形で活動を展開するとは考えにくい。「村のNGO」が「村人自身による再建」を促すことが、きわめて重要になってくるだろう。シャプラニールが、本当の意味でのローカルNGOであるコサールを支援している意義は大きいと感じた。 とはいえ、コサールはまだまだ経験不足であり、直接海外のNGOとやりとりする力量を持ち合わせていない。シャプラニールとコサールの介在役として動いているのは、PNACである。このため、コサール関係者は、たびたびイスラマバードに出てこざるをえない。しかし、イスラマバードとカシミールの村を何回も往復するのは、さまざまな点で無駄が多い。被災地で物事を決められる体制が必要である。先ほどの指摘とも重なるが、交通の不便な地域におけるローカルNGOの組織力の向上と、ネットワーキング構築が今後求められることになるだろう。
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アライ谷でアクションエイドの職員やボランティアと一緒に。後方にオフィス兼モデル・シェルターのオフィスがある。(2005年12月30日)。 |