2017年 修論発表と卒論発表

今年も卒論発表会が終わりました.今年は修士1名,学部6名が発表しました.

卒論発表(2月13日)

発表者とタイトルは以下の通り.

 2台のロボットアームを使用した協調作業(藤田駿)
 超音波センサを用いた3輪オムニホイールロボットの追従制御(佐野達哉)
 ロボットの走行中に外乱光が変化した際の赤外線センサによる障害物認識(岡大貴)
 底面カメラを用いた無人飛行ロボットのマーカ間飛行(佐藤悠人)
 自動ブレーキを搭載した倒立二輪ロボットを人が操作する際の競合に関する研究(直井拓也)
 視覚と聴覚による指示が後出しじゃんけんの学習効果に与える影響(荻田悠介)

 さて,ここに感想を書こうと思って,昨年のモノを読んだら,ほぼ同じでした.「要旨作成,発表練習の時点で,話の方針がたてられずに困ったなぁと思うことが多々あり」「例年以上にガンガンお尻を叩いた気が」.「発表は,自分でもきちんと練習したんだなと感じる部分も多く,しっかり発表できていて良かった」.まさにデジャブ.程度の差はあるように思うけれど.
 今回は,たまたま卒論の後で,学外,学科内の教員との懇親会で卒論について話をする機会がありました.

 今年感じたことの1つに,研究室内での(平常時の過程を含めた)評価と研究室外からの(外に見える部分の)評価は違うってこと.まぁ,今年に限ったことではありません.保育園の頃から感じていました(笑).この話をしたら,他大学の先生も「あるある」って.多面的評価には価値があるという点では一致.プラスαとして「他の教員から褒められたから,それで良いと思うなよ」って意見と,「仕事では結果が全てだ」って意見がありました.私は学生時代から基本的に慎重派(ネガティブ?)なので,前者だと思って行動していたと思います.だいたい,一発勝負でうまくやる自信などないし.

 他の先生達と話をしていたときに「学生に指示を出してもなかなか教員が思ったように進まないよね」って意見があって,これも「そうそう」という同意が飛び交いました.教員は年を取っていく(記憶が蓄積していく)けど,学生はいつも同じ年.教員からすると毎年4月になるとリセットされるわけです.だから,何故これができないのかという思いが強くなってしまう,という話.これはまさに上記のデジャブが証明しているわけですが,私はたぶん
過去の学生の良いところしか覚えていなくて,悪いところはほとんど忘れてしまうから,過去の学生のほうがしっかりできていたと思ってしまうんだろうなと...これも「あぁ,そうかも」って.でも,「いや,それを差し引いても,差があると思う」って意見もあり.私もそんな気がするけど,そこはたぶん世代が違って感覚の差が開いてきているのだと思う.私が学生だった頃は大企業に行けば,安定した生活ができて,院卒のほうが当然,給料も良いし,仕事も面白い(自分の考えが活かせて,責任もある)と思っていた.後者は今もそのはずだけれど,前者は社会が変わってしまった印象がある.いや,本当は,変わっていないか.なぜなら,私が大学生のときに年配の教授がガイダンスで言ったのは「僕が学生だった頃は成績トップクラスは繊維,造船,鉄道に就職して,そこに就職できない人が自動車メーカーに行った.それが今はどうだ.皆,自動車メーカーに行きたがる.自動車メーカーだって30年後はどうなっているかわからんぞ.」って言っていた.

 学生の頃は理解できないのもわかりますけどね.自分がそうだったから.ただ,結構,学生時代の先生方の言葉は覚えていて,今になってそうだなぁって感じることが多い.我々の先生達も苦労していたんだろうな〜.
 

修論発表(2月14日)

発表者とタイトルは以下の通り.

 進行方向とゲインの切り替えを行う自動駐車に関する研究(荏原健太)

 3年生のときに仮配属で研究室に来たときには分からなかったけれど,向上心のある学生でした.それに,学会発表などを通して自信もついたかな.修論の内容については12月頃にいろいろ間違いが見つかって少し焦りましたが,それでも集中して計算をしなおして(やたら分厚い)修論を作成しておりました.さすが院生,基礎実験などもしっかり組み込んで,うまくまとめていました.ぜひ,この調子で会社でも活躍することを祈っています.
 

そういえば...

 この日記に入院したことを書いたら,卒業生に立て続けに「大丈夫ですか!健康に気をつけてください」と言われました.心配してくれてありがとうです.
 大丈夫だったので笑い話的な感じで書いたつもりだったのですが,ごめんなさい.もう少し前向きな話題を書いていきたいと思います.