概略

糖鎖間相互作用のメカニズム解析 〜 ガンやリウマチの治療薬開発にむけて 〜

糖鎖間相互作用.png
細胞の表面には糖が複数個つながった「糖鎖」が多数存在しています。近年、隣接する細胞表面に存在する糖鎖同士の相互作用(糖鎖間相互作用)が、その後の細胞接着の引き金となっていることが解ってきました。しかし、この糖鎖間相互作用のメカニズムは、まだほとんど解っていません。

糖鎖間相互作用のメカニズム解明は、「望まない細胞接着」に起因する様々な疾患(ガンの転移や、リウマチなどの各種炎症など・・・)の治療薬開発に極めて重要です。しかし、実際の細胞を用いた研究は非常に難しく、シンプルな「人工モデル系」を用いた実験が有効とされています。

本研究室では、各種人工分子(フェロセン・トリスビピリジン金属錯体など)に多数の糖鎖導入した糖クラスター化合物を合成し、糖鎖間相互作用を解明するための研究を行っています。

これらの研究を通じ、当研究室の学生は有機化学の知識や実験手法を習得しています。このため、主として化学メーカーなどへの就職が多くなっています。



天然多糖を骨格とする機能性高分子の開発 〜 薬物ナノキャリアへの応用 〜

ダリア写真.png
ダリアなどの球根に含まれる「イヌリン」は、フルクトースがβ2,1結合で繋がった多糖です。また、人間を含むほ乳類はイヌリンを分解する酵素を体内に有さないため、イヌリンを分解することができません。その他に、生体毒性を示さないことや、高いゲル化能を示すことなどを併せて考えると、各種薬剤を染みこませたイヌリンゲルは、体の各部位へ薬剤を送達し、そこで徐放するための「ドラッグキャリア」としての役割が期待できます

我々の研究室ではイヌリンに対する化学修飾法の開発とともに、特定細胞にのみ選択的に薬物を送達するためのシステム作りに取り組んでいます。

これらの研究を通じ、当研究室の学生は有機化学の知識や実験手法を習得しています。このため、主として化学メーカーなどへの就職が多くなっています。



綿実由来テルペノイドであるゴシポールを基にした新規バイオ・ナノ材料の開発

綿実中に大量に含まれる黄色色素であるゴシポールは、ナフタレン環を持つセスキテルペンがナフタレン環同士で直結して2量体化したテルペノイドであり、病原性真菌および昆虫に対する植物の防御システムの一部としての役割を有しています。このような興味ある生理活性のみならず、ゴシポールは軸不斉化合物でもあり、構造有機化学の観点からも興味ある化合物と言えます。

その様なゴシポールですが、ゴシポールには男性に対する避妊作用をはじめとする人体への有害な生理活性があるため、食用綿実油製造において除去すべき毒性不純物とされてきました。しかし近年、ゴシポールがHIV-1やH5N1インフルエンザウイルスに対する抗ウイルス活性、抗がん活性などを有することを示す研究報告例が増加してきています。

その点において、化学修飾による生理活性を改良した種々のゴシポール誘導体の開発は、医薬品化学において非常に興味深い研究テーマです。

★(詳細)糖鎖間相互作用

糖鎖間相互作用とは


膜表面多様性のコピー.png細胞膜表面には多種多様な糖タンパク質や糖脂質が存在しています。このなかで例えば糖脂質には、疎水性部位としてセラミドを有するスフィンゴ糖脂質や、同じく疎水性部位としてジアシルグリセリドを有するグリセロ糖脂質などが存在しています。これら糖脂質における糖鎖の主たる生物学的役割は、「糖鎖-タンパク質間相互作用」に基づき、各種糖認識タンパク質のリガンドとして働くことであると言われていました。

近年の研究で、これらスフィンゴ糖脂質は細胞膜上で均一に分散しているのではなく、水平凝集して、糖鎖が密集した「糖マイクロドメイン」を形成していることが徐々に明らかとなってきました。さらには隣接する細胞表面上に存在する糖マイクロドメイン同士が、その表面に存在する糖クラスターの間の選択的な相互作用により接着し、それが引き金となってその後の細胞接着が引き起こされている事なども明らかとなってきています。

このマイクロドメイン間相互作用の主たる駆動力は、前述の糖鎖-タンパク質間相互作用ではなく、マイクロドメイン表面の糖鎖部分による糖鎖-糖鎖間相互作用(Carbohydrate-Carbohydrate Interactions: CCIs)です。例えば、受精卵において、その8細胞期(桑実体期)前期には細胞表面にスフィンゴ糖脂質であるLeXが過剰発現しており、このLeX糖鎖部分同士の相互作用が、細胞のコンパクションを誘起していることが解っています。また、ガン転移現象のモデルでもあるメラノーマ細胞と血管上皮細胞の接着が、GM3糖鎖とGg3糖鎖との間のCCIsによって引き起こされることなども解ってきています。さらにCCIsはこれら細胞接着のみならず、細胞間の情報伝達現象にも重要な役割を担っていることすら示唆されています。例えば、前述の受精卵において、LeXの生合成に関与する糖転移酵素の発現を抑制し、LeXの発現量を低下させると、細胞のコンパクションのみならず、その後の正常な分化すら起こらないことが解ってきています。つまりここから解ることは、CCIsが単に細胞接着のみならず、細胞の分化にすら大きく関与しているということです。このことから、Lexの糖鎖部位同士のCCIsはCCIsのメカニズムを理解することは、多細胞生物における細胞接着やその後の細胞間情報伝達機構を分子レベルで解明することに繋がり、しいては「人間」を理解することにも繋がる極めて重要な学術的基礎研究である。またCCIsのメカニズム解明により、「望まない細胞接着」が原因である各種疾患(ガン転移や炎症など)の治療のための将来的な新薬開発に結びつく可能性も高く、医学・薬学、さらには産業的な見地からも極めて発展性の高い基礎研究であると言えます。

世界的な研究の現状


しかしその重要性・発展性にも関わらず、CCIsの分子レベルでの作用機序はほとんど不明です。例えば、前述のLeX-LeX間相互作用においても、LeXのどの部分とカルシウムイオンが相互作用するのか、また糖鎖とイオンとの間の化学量論比、さらにはCCIsを引き起こした際のそれぞれの糖鎖の空間配置など、相互作用のメカニズムは分子レベルでは何も明らかとなっていません。これはCCIsが細胞膜上のスフィンゴ糖脂質間の微弱な相互作用であることの他に、細胞膜が多様な構成成分からなる複雑系であることや、局所的な脂質成分構成比にばらつきがある不均一系であること、表面構造が時々刻々と変化する流動系であることなどが主な要因です。これらの諸問題を回避し、分子レベルかつ定量的なCCIsのメカニズム解析を行うには、単純な人工モデル系を用いたアプローチが有効とおもわれます。

GNPの凝集1例えば、他の研究グループは、スフィンゴ糖脂質の一種であるLeXの末端三糖部分(LeX三糖)を末端に有するチオール誘導体を合成し、これを用いた自己集積単分子膜(Self-Assembled Monolayers: SAM)で表面修飾した金コロイド同士が、カルシウムイオン存在下で選択的に凝集することなどが報告されています(ref.1)。一方でカルシウムイオンの代わりにナトリウムイオンを用いるとこのような凝集は観測されません。これは、カルシウムイオンがLeX三糖同士の相互作用を誘起し、その結果として金コロイド同士の凝集を引き起こした結果であると考察されています。(S. Penades et al. Tetrahedron Asym. 2002, 13, 1879–1888.)



また、別の研究グループからは、側鎖に多数のGg3三糖を有するポリスチレンが、カルシウムイオン存在下においてGM3単分子膜と相互作用することも報告されています。(K. Matsuura et al. Glycoconj. J. 2004, 21, 139–148.)

SPRによるCCIs解析.png

これらの研究を通じて、どのような糖鎖とどのような糖鎖が相互作用するのか、どのような条件(共存イオン種など)ならば相互作用するのか、などについての知見が集積されつつあります。

しかし、現在のところ、糖鎖間相互作用を引き起こした際に、それぞれの糖鎖と糖鎖がどのような空間配置にてパッキングしているのかについてはほとんど何も明らかとなっていません。それはこれらの人工モデル系が多数の糖鎖を集積させた「糖クラスター」を利用しており、分子間の相互作用(Ref.1における糖修飾金ナノコロイド同士の凝集や、Ref.2におけるポリスチレン型糖鎖高分子と水面単分子膜との間の接着など)を引き起こすためにこの糖クラスター構造が必須であることに起因しています。多数の糖鎖が必要であるが故に、それぞれの糖鎖の空間配置といった分子レベルの情報が得にくいのです。


当研究室でのアプローチ


当研究室でも様々な人工モデル系をデザインし、CCIsのメカニズムを分子レベルで理解すべく研究を行っています。この際、他の研究グループが行っているような、「糖クラスター同士の分子間相互作用に基づく評価方法」ではなく、主として「数個(2〜7個)の糖鎖を導入した分子が、分子内に働くCCIsによってコンホメーション変化を起こすこと」に着目し、以下に列挙するような特徴あるアプローチにて、CCIsのメカニズムに迫る研究を行っています。

(1)フェロセンなどの分子内回転軸を有する分子に糖鎖を導入し、分子内におけるCCIsによって誘起されるコンホメーション変化を元にCCIsを検出するアプローチ(Chem. Commun. 2009, 5442–5444)

(2)トリスビピリジン鉄錯体もしくトリスフェナントロリン鉄錯体を骨格にした動的コンビナトリアルケミストリーの手法を用いたアプローチ(①Tetrahedron 2013, 69, 3019-3026, ②Submitted to Tetrahedron)

(3)蛍光色素であるローダミンで化学修飾したオリゴ糖をもちい、様々なオリゴ糖やイオンが共存する水溶液中におけるその回転拡散速度をFIDA-Po法にて評価することに基づくアプローチ(Bull., Chem. Soc. Jp.
2016, 89, 617-625)

(4)ポリアセチレン型糖鎖高分子のヘリックスコイル転移を指標に用いたアプローチ

★(詳細)機能性イヌリン

イヌリンとは


イヌリンとは、主にキク科植物の貯蔵多糖として自然界に広く分布している天然多糖であり、β-2,1-結合により重合したフルクトース(β-2,1-フルクタン)の末端に、D-グルコピラノシドがα-2,1-結合によりキャッピングするという、非常に特異な構造を有しています。また、多糖に分類されてはいますが、その重合度は一般的に20〜60残基程度で、多糖というよりもオリゴ糖に近い分子サイズを有することも、その特徴といえます。また、由来となる植物体の収穫時期やその後の保存方法に依存して、重合度や末端グルコシド残基の有無が様々に変化することも、イヌリンの大きな特徴の一つです。

分子特性


イヌリンは高いヒドロゲル形成能を有しており、水を吸収して得られるゲルの食感は極めて脂肪に似ています。後述の難消化性と併せ、イヌリンを脂肪の代替として用いる研究が、主として食品化学分野で行われ、既に実用化もされています。

生理学的特徴


ヒトを含むほ乳類はイヌリンのβ-2,1-結合を分解する酵素(イヌリナーゼ)を持たないため、食物として摂取したイヌリンは消化吸収されることなく大腸まで到達します。一方で、ラクトバチルスを含む特定の腸内細菌は、イヌリン分解活性を有する酵素を有しており、大腸にまで達したイヌリンはこれら腸内細菌の栄養となり、有用な腸内細菌の生育および腸内環境バランスの保持に大いに役立つといわれています。また、イヌリンがこれら腸内細菌によって代謝される事により生じるブタン酸などの各種代謝産物が大腸ガンの抑制効果があるという報告例もあります。

以上の点から主として健康食品分野で注目が集まっているイヌリンですが、免疫賦活作用やアジュバント活性などを有する事も報告され、近年では薬学分野における注目も高まってきています。またイヌリンは高いヒドロゲル形成能を有しており、生分解を受けないというその特徴と併せ考えると、ドラッグデリバリー用の薬物担体としても非常に有望な素材であるといえます。

化学修飾法開発の重要性


イヌリンを適切に化学修飾することにより、望みの機能を付与することは、新規の医薬品や食品添加物開発において非常に魅力的な研究分野です。しかし、これまでに報告されたイヌリンの化学修飾に関する文献は少なく、未だその手法が確立されたとは言えません。そこで我々はイヌリンに対して様々な機能性基を導入するための汎用法の開発をおこない、その手法に基づいた様々な機能性イヌリン材料の開発に取り組んでいます。

我々の研究成果


その一例として、当研究室ではこれまでにイヌリンに対してトシルクロライドを用いたトシル化、さらにはアジ化ナトリウムを用いたアジド化を経て、分子内の一級水酸基をアジド基へと変換したアジド化イヌリンの合成に成功しました。さらに、末端三重結合を有するラクトース誘導体と[3+2]環化付加反応(Huisgen coupling)させることにより、分子内に複数のラクトース残基を有するイヌリン誘導体の合成し、得られたラクトース修飾イヌリンがラクトース由来のレクチン認識能を獲得したことを明らにしました(注:レクチン=糖認識タンパク質の総称)。

我々が開発した手法は、上述のようなオリゴ糖の導入によるイヌリン型糖鎖高分子の合成にのみ適応可能ではありません。アジド化イヌリンを鍵中間体として、末端アルキンを有する様々な機能性モジュールと反応させることで、多様なイヌリン誘導体へと変換することが可能で有り、今後様々なイヌリン誘導体開発への応用が期待できます。