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「フォイエルバッハの会」の歩み

柴田隆行、編

*時間が遡るよう記述してあります。

2007年6月1日
 新体制開始。今後は当面、「通信」その他による情報発信、論文公刊等を中心とし、研究交流会は必要に応じて開催することとします。
2007年3月21日(東京電機大学)
 拡大幹事会にて、組織再編、活動方針見直しについて協議
2006年11月11日(慶応大学三田校舎)
 ハンス・マルティン・ザス(Hans-Martin Sass)教授講演会 (フォイエルバッハの会・慶應義塾大学共催)
  「フォイエルバッハ思想のアクチュアリティ」
2005年12月18日
 第23回研究交流会(慶応大学三田校舎)
  富村圭氏「ドイツ留学を終えて」
  深井智朗氏「現代神学とフォイエルバッハ」
2005年3月5日
 第22回研究交流会(慶応大学三田校舎)
 石塚正英氏「 フォイエルバッハ術語の意味転換――NaturvolkとWesenとを事例に」
 2年ごとに開かれる総会(会長に服部健二、事務局長に細谷実、幹事に神田順司・川本隆・片山善博、会計監査に浜田正を選出)
2004年10月21〜23日
 国際フォイエルバッハ学会・ベルリンブランデンブルク州立科学アカデミー・ミュンスター大学共催「フォイエルバッハ生誕200年記念学術シンポジウム」に、会員が5名参加し、3名が研究報告。
2004年5月1日
 フォイエルバッハ生誕200年記念論集出版記念会
2004年3月25日
 『フォイエルバッハ 自然・他者・歴史』(理想社、252+24頁)刊行
2004年3月13日
 第21回研究交流会(立命館大学
末川記念館)
 小田智敏氏「エルンスト・ブロッホにおける自然と人間」
2004年2月12日
 「通信」第56号発行
2003年11月9日
 第20回研究交流会(慶応大学三田校舎)
 針谷寛氏「ディーツゲン評価の歴史から――その意味と問題点の紹介――」
2003年7月8日
 「通信」第55号発行
2003年4月18日
 本会会長城塚登氏死去
2003年3月16日
 第19回研究交流会(慶応大学三田校舎)
 溝口万子「『始まり』としての崇高――アーレントの『精神の生活』三部作の『密かな計略』について
2003年2月27日
 「通信」第54号発行
2003年1月12日
 記念出版第9回執筆者会議(東京電気大学神田キャンパス)。
2002年11月30日〜12月1日
 記念出版第8回執筆者会議(関東学院大学葉山セミナーハウス)。
 柴田隆行「自然的理性の光から自然の光へ」、石塚正英「フォイエルバッハの唯物論的宗教論」、川本隆「〈精神の他我〉としての質料」、石川實「明治期におけるフォイエルバッハの受容」、河上睦子「身体哲学の構想」、木村博「フォイエルバッハとフィヒテ――他者論をめぐって」、細谷実「意識と身体性」、神田順司「バウアーとフォイエルバッハの狭間で――若きマルクスにおけるフォイエルバッハ受容によせて」、富村圭「フォイエルバッハの『ヘーゲル主義』と同時代の神学論争」、奥山憲一「フォイエルバッハにおける宗教と倫理学の関係――シュティルナーとの論争をめぐって」
2002年9月15日
 第2回日韓合同フォイエルバッハ研究発表会(韓国大邱大学校)。 →詳細記録
 共通テーマ「連帯性と他者性」、主催:フォイエルバッハの会・大韓民国大邱大学校人文科学研究所。開会の挨拶(姜大石)、共通テーマ説明(柴田隆行)。木村博「フォイエルバッハとフィヒテ――他者論をめぐって」、服部健二「3人のカールとフォイエルバッハ」、川本隆「カール・バルトとフォイエルバッハ――宗教批判は終わったか」、姜大石「フォイエルバッハとニーチェ」、河上睦子「フォイエルバッハの身体論」。閉会の挨拶(柴田隆行)
2002年6月20日
 「通信」第53号発行
2002年5月11日
 記念出版編集会議(慶応大学三田校舎)
2002年4月20日
 「通信」第52号発行
2002年3月16日
 第18回研究交流会(立命館大学)。
 常石希望「韓国的人倫の特質と課題」、柴田隆行「フォイエルバッハの論理学講義」。
 総会。第二回日韓合同フォイエルバッハ研究交流会の主催引き受けについて。
2002年2月18日
 「通信」第51号発行
2002年1月16日
 「通信」第50号発行
2001年9月24日
 記念出版第7回執筆者会議(東京電気大学神田キャンパス)。
 河上睦子「フォイエルバッハの身体論」、石川實「明治期におけるフォイエルバッハの受容とその系譜」。
2001年9月23日
 記念出版第6回執筆者会議(東京電気大学神田キャンパス)。
 奥山憲一「フォイエルバッハの宗教と倫理学の関係」、神田順司「バウアーとフォイエルバッハの狭間で――若きマルクスにおけるフォイエルバッハ受容と変容」、滝口清栄「幸福主義としての倫理学――ドイツ観念論の克服、そして実践的倫理をめざして」。
2001年7月20日
 記念出版第5回執筆者会議(専修大学神田校舎)。
 片山善博「」、細谷実「重要なのは身体だ」。
2001年7月9日
 「通信」第49号発行
2001年5月19日
 臨時総会。会則改正。
 記念出版第4回執筆者会議(専修大学神田校舎)。
 服部健二「『論理学形而上学序論』の感覚概念の検討」、柴田隆行「フォイエルバッハと自然的理性の光」
2001年5月7日
 「通信」第48号発行
2001年3月31日
 記念出版第3回執筆者会議・第17回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 富村圭「フォイエルバッハの『思弁との訣別』と同時代の神学論争」、浜田正「アルチュセールのフォイエルバッハ解釈」。
 総会。役員改選、会計報告。
2001年3月11日
 記念出版第2回執筆者会議(東京電気大学神田キャンパス)。
 石塚正英「フォイエルバッハの唯物論的宗教観」、木村博「フィヒテとフォイエルバッハ――他者の演繹をめぐって」、川本隆「精神の他我としての自然」。
2001年2月19日
 「通信」第47号発行
2000年12月16日
 記念出版第1回執筆者会議(専修大学神田校舎)。
 中畑邦夫「『キリスト教の本質』における個人の被制限性と共同性の行方」、澤野徹「フォイエルバッハの『日本の宗教』研究」
2000年10月27〜28日
 国際フォイエルバッハ学会講演会とコロキウム「ルートヴィヒ・フォイエルバッハと啓蒙の継続」に柴田隆行会員参加(スイス・チューリヒ)。
2000年9月24日
 「通信」第46号発行
2000年9月9日
 記念出版第3回編集会議・第16回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 半田秀男「初期フォイエルバッハにおける『類』の概念について」。
2000年8月7日
 「通信」第45号発行
2000年7月1日
 記念出版第2回編集会議
2000年6月6日
 「通信」第44号発行
2000年6月5日
 フォイエルバッハ生誕200年記念出版第1回編集会議
2000年4月12日
 「通信」第43号発行
2000年2月26日
 総会。役員改選。幹事片山善博(会計)、他は留任
2000年2月26日
 第14回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 石川實「日本におけるフォイエルバッハの受容とその系譜」、城塚登「身体性の問題」
1999年12月25日
 「通信」第42号発行
1999年11月24日
 「通信」第41号発行
1999年9月25日
 第14回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 川本隆「フォイエルバッハ『ライプニッツ論』における物質」、島崎隆「フォイエルバッハの唯物論と人間学によせて」
1999年9月1日
 「通信」第40号発行
1999年4月14日
 「通信」第39号発行
1999年3月7日
 第13回研究交流会(立命館大学)。
 奥山憲一「フォイエルバッハの人間学における道徳論の位置づけ」、笠井惠二「二十世紀の神学者カール・バルトとフォイエルバッハ」
1999年3月3日
 「通信」第38号発行
1999年2月8日
 「通信」第37号発行
1998年9月12日
 第12回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 安田忠郎「私のフォイエルバッハ」、柴田隆行「1848年のフォイエルバッハ」
1998年8月18日
 「通信」第36号発行
1998年6月12日
 「通信」第35号発行
1998年3月22日
 第11回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 儀同保「フォイエルバッハと唯物論」、神田順司「フォイエルバッハにおけるヘーゲル批判の道とその問題点」
1998年2月15日
 「通信」第34号発行
1997年10月4日
 第10回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 川本隆「Herz/Gemuetの区別とNicht-Ichの関連について」、合評会:河上睦子『フォイエルバッハと現代』
1997年8月16日
 「通信」第33号発行(川本隆編集)
1997年3月25日
 「通信」第32号発行
1997年3月22日
 総会。役員改選。会長留任、事務局長川本隆、幹事澤野徹(国際)・河上睦子(会計)・服部健二(関西)
1997年3月22日
 第9回研究交流会(立命館大学)。
 田畑稔「シュタルケとエンゲルスの『フォイエルバッハ論』――エンゲルスによる「哲学の根本問題」導入の経緯」、柴田隆行「国際フォイエルバッハ協会大会報告」
1997年2月26日〜3月1日
 国際フォイエルバッハ学会コロキウム(ライゼンスブルク、ドイツ)に柴田隆行会員参加
1997年2月13日
 「通信」第31号発行
1996年11月28日
 「通信」第30号発行
1996年7月13日
 国際フォイエルバッハ学会臨時総会(ベルリン自由大学)にて、柴田隆行会員が副会長に選出される
1996年5月5日
 「通信」第29号発行
1996年3月23日
 第8回研究交流会(明治大学)。
 河上睦子「フォイエルバッハとフェミニズム」、服部健二「フォイエルバッハ『論理学・形而上学序論』について――ヘーゲル主観的精神との比較」
1996年2月10日
 「通信」第27号発行 1996年3月13日  「通信」第28号発行
1995年8月25日
 「通信」第26号発行(服部健二編集)
1995年5月20日
 マヌエラ・ケッペ著、柴田隆行訳「フォイエルバッハ全集編集作業の現段階」を『社会思想史の窓』第115号に掲載
1995年3月12日
 総会。役員改選。会長留任、事務局長服部健二、幹事高田一樹・河上睦子(会計)・柴田隆行(国際)
1995年3月12日
 第7回研究交流会(立命館大学)。
 高田一樹「フォイエルバッハの感覚的確信論」、柴田隆行「フォイエルバッハの哲学史の、哲学史上の意義」
1995年2月23日
 「通信」第25号発行
1995年1月28日
 「通信」第24号発行
1994年11月22日
 「通信」第23号発行
1994年9月14〜18日
 国際フォイエルバッハ学会大会(ナポリ、イタリア)で、柴田隆行会員が研究発表
1994年4月16日
 「通信」第21号発行 1994年7月18日  「通信」第22号発行
1994年3月26日
 第6回研究交流会(専修大学神田校舎)。
 亀山純夫「感性的人間論の射程――私がフォイエルバッハで考えたいこと」、細谷実「幸福主義の倫理学――自然主義で人間主義的な倫理学の基礎」
1994年2月16日
 「通信」第20号発行
1993年11月25日
 「通信」第19号発行
1993年8月3日
 「通信」第18号発行
1993年7月10日
 「通信」第17号発行
1993年4月15日
 「通信」第16号発行
1993年3月14日
 総会。役員改選。前期委員留任、服部健二(関西)追加
1993年3月14日
 第5回研究交流会(名古屋大学経済学部)。
 柴田隆行「国際フォイエルバッハ協会チューリヒ大会報告」、澤野徹「キリスト教の批判から宗教一般の批判へ――フォイエルバッハの遺稿『日本の宗教について』を中心に」、鈴木伸一「フォイエルバッハにおける対話的生」、河上睦子「『キリスト教の本質』初版翻訳の意義」
1993年2月10日
 「通信」第15号発行
1992年11月15日
 「通信」第14号発行
1992年9月25〜27日
 国際フォイエルバッハ学会大会(チューリヒ, スイス)で、鈴木伸一会員が研究発表、河上睦子、柴田隆行両会員参加
1992年4月5日
 「通信」第13号発行
1992年3月15日
 第4回研究交流会・第1回日韓合同フォイエルバッハ研究交流会(東洋大学)。
 服部健二「ドイツ留学の報告」、細谷実「自由と必然性の人間学的考察――『唯物論と唯心論』前半をテキストに」、姜大石(韓国Hyosung大学助教授)「Warum vermisst man Feuerbach in Sued-Korea?」
1992年1月28日
 「通信」第12号発行
1991年11月20日
 『社会思想史の窓』第90号発行。書評:ブラントホルスト著・桑山政道訳『ルターの継承と市民的解放』(柴田隆行)
1991年11月13日
  「通信」第11号発行
1991年6月20日
 「通信」第10号発行
1991年4月7日
 「通信」第9号発行(柴田隆行編)
1991年3月16日
 総会。役員改選。会長城塚登、事務局長柴田隆行、幹事石塚正英(機関誌)・河上睦子(会計)・鈴木伸一(国際)
1991年3月16日
 第3回研究交流会(中央大学駿河台記念館)。
 森達也「フォイエルバッハの自然観」、石塚正英「フォイエルバッハの原始信仰観――Goetzendienstの二重の意味」
1991年2月20日
 『社会思想史の窓』第81号発行。ラヴィドヴィッツ著・桑山政道訳「フォイエルバッハとショーペンハウエル」
1991年2月15日
 「通信」第8号発行
1990年12月20日
 『社会思想史の窓』第79号(フォイエルバッハ特集)発行。河上睦子「フォイエルバッハのなかのカント」、川本隆「今日のわれわれにとってのフォイエルバッハ」、澤野徹「国際フォイエルバッハ協会の設立とその後の動向」
 (註 国際フォイエルバッハ研究協会が国際フォイエルバッハ学会に変更となったのちも、私たちは「国際フォイエルバッハ協会」と呼んできましたが、その後、両者を区別するために、正式名称「国際フォイエルバッハ学会」に改めました。ただし、当時慣例で呼ばれていた名称が論文名等として使用されている場合は原文のままとしてあります。)
1990年7月16日
 「通信」第7号発行
1990年7月8日
 第2回研究交流会(立命館大学)。
 本田玄伯「フォイエルバッハの『宗教の本質』ならびに『宗教の本質に関する講演』での宗教批判について」、服部健二「フォイエルバッハの人間学的唯物論について――ヘーゲルとの関わりで」
1990年4月20日
 『社会思想史の窓』第71号(国際フォイエルバッハ学会報告集)発行
1990年3月19日
 「通信」第6号発行
1990年1月5日
 「通信」第5号発行。舩山会長健康上の理由で辞任のため、会長職空席とする
1989年12月21日
 「通信」第4号発行
1989年12月2日
 第1回研究交流会(明治大学研究棟)。
 鈴木伸一「国際協会報告――宗教の死あるいは不死」、城塚登「追悼藤巻和夫」、川本隆「フォイエルバッハのDie menschliche Natur」
1989年10月8〜14日
 国際フォイエルバッハ研究協会大会(ビーレフェルト、西ドイツ)で、鈴木伸一、藤巻和夫両会員研究発表、澤野徹会員参加。藤巻氏、11月2日ツェレにて肺炎のため客死。(なお、この大会において、国際フォイエルバッハ研究協会は国際フォイエルバッハ学会となった。)
1989年9月26日
 「通信」第3号発行
1989年7月20日
 『社会思想史の窓』第62号(フォイエルバッハの会創立記念特集)発行。舩山信一「フォイエルバッハとの私のふれあい」、藤巻和夫「国際フォイエルバッハ協会のこと」、柴田隆行編「L・フォイエルバッハ日本語文献目録」
1989年7月4日
 「通信」第2号発行
1989年5月31日
 「通信」第1号発行(寺田光雄編集)
1989年5月25日
 会員名簿作成。会員39名
1989年3月27日
 「フォイエルバッハの会」案内状を関連研究者約80名に送付
1989年3月20日
 『社会思想史の窓』第58号に、桑山政道「フォイエルバッハの会に想う――今なぜフォイエルバッハか」掲載
1989年3月9日
 フォイエルバッハの会(仮称)結成準備会(東洋大学白山校舎)。この日を設立総会とすることを決議。会長舩山信一、事務局長寺田光雄、幹事石塚正英・川本隆・柴田隆行を選出
1989年2月20日
 フォイエルバッハの会(仮称)結成準備会開催のお知らせ発送。呼びかけ人は石川三義・石塚正英・大井正・川本隆・河上睦子・桑山政道・澤野徹・柴田隆行・城塚登・寺田光雄・暉峻凌三・尼寺義弘・藤巻和夫・舩山信一・山之内靖
1989年2月2日
 「フォイエルバッハの会準備会通信」第3号発行
1989年1月25日
 「フォイエルバッハの会準備会通信」第2号発行。舩山信一、城塚登、山之内靖氏、呼びかけ人に連名。桑山氏呼びかけ文執筆「フォイエルバッハの会発足の辞」
1989年1月16日
 国際フォイエルバッハ研究協会をめぐる集い(新宿中村屋)。桑山政道、藤巻和夫、寺田光雄、澤野徹、石塚正英、石川三義、川本隆、柴田隆行参加
1989年1月6日
 国際フォイエルバッハ研究協会の日本の会準備会の案内状送付
1988年12月11日
 19世紀古典読書会にて、日本におけるフォイエルバッハ研究者組織結成について相談
1988年11月20日
 『社会思想史の窓』第54号に、柴田隆行「国際フォイエルバッハ協会設立される」掲載。編者石塚正英氏、後記にて日本での研究者組織化を宣言
1988年10月31日
 暉峻凌三、桑山政道、柴田隆行の3名で国際フォイエルバッハ研究協会への日本人研究者加盟促進について打ち合わせ
1988年10月14日
 桑山氏から柴田宛返信。国際フォイエルバッハ研究協会について詳細に知らされる
1988年10月12日
 柴田より桑山氏に問い合わせ書簡
1987年11月月15日
 フォイエルバッハ研究者暉峻凌三氏より柴田隆行宛に、ブラウン国際研究協会会長が日本からの会員を募集していることを伝えられる。翌日、国際研究協会についての資料を預かる。すでに国際研究協会会員になっている桑山政道氏に電話で問い合わせる
1987年9月19日
 国際フォイエルバッハ研究協会(Internationale Vereinigung zum Studium der Werke Ludwig Feuerbach)設立。創立会員として桑山政道氏と藤巻和夫氏

 

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