1、卒業論文は「学術論文」
(平成8年度から卒業論文とともに卒業制作も認められることになりました。本稿はそのうちの「卒業論文」の書き方です。「卒業制作」については『履修要綱』を参照してください。)
いうまでもなく、卒業論文は学術論文であって、リポ−トではありません。またもちろん感想文でもなければ、評論でもありません。それでは論文と、リポ−ト・評論・感想文とはどう異なるかといえば、次のような項目が上げられるでしょう。
(1)客観的普遍妥当性が必要であるということ−−きちんとした証拠(第一次文献、調査資料)が提出され、それに基づいて作業がなされていること。
(2)方法論がしっかりしていること−−学問的であること。文献学、心理学、社会学、考古学等などの方法論を用い、情報処理の方法がシステマティックになされていること。
(3)論理的であること−−感想、印象判断ではなく、独断的でもなく、推測でもなく、論理的な判断がなされていること。すでに全体の構成そのものが論理的でなければならず、また文章も論理的に説得力があること。(「−−と思う」ではなく、「−−であるから−−である」といった文章)。
(4)学的水準に到達していること−−既に発表されている学説を知っており、理解していること。当該分野の著書・論文を十分に読んで理解していること。
(5)独創性のあること−−新しい資料を使う、新たな知見を提出する、新しい視点がある、新しい方法論(独自の手続きがある)を編み出すなど、今までにない成果であること(卒業論文でここまで要求するのは無理かも知れません。したがって上述の4項目が満たされていれば許されるでしょう。)
テ−マの決定
多くの学生諸君は、自分の興味のあるところをテ−マとして、論文を書こうとします。好きこそものの上手なれですから、それはそれでいいのですが、しかしそれだけではあくまでも単なる関心であって、決してテ−マではないことを注意してください。
たとえば、食事に例をとってみましょう。腹が減った、何か食べたいという衝動だけで、食事はできるでしょうか。それにはまず何をつくろうかという、最初の動機付けが必要ですが、皆さんがテ−マの決定をすると考えているのはこの時です。たいてい4年生になって、卒論のテ−マを提出する時期になって、さあ何をやろうかと考えるのではないかと思います。何か食べなければならない、それでは肉料理にしようかという段階では、まだ食事の準備に入ったとはいえないでしょう。この「肉料理」程度のものを、皆さんは「テ−マ」と称して届け出て来ることが多いのです。
しかし、テ−マというのは、どういう肉料理をどんな材料を使って、どのように調理しようかというイメ−ジを持った献立と考えてください。そのとき間違っても、外食ですまそう、コンビニでレトルト食品を買って来ようなんていう、好い加減な気持ちは捨ててください。卒論は自らの力で、独自のものを作り上げるというところに意味があるのであって、外食ですましたり、レトルト食品にたよるのは盗作や剽窃に当たります。最近の話ですが、ある大学の史学科の教授が論文の剽窃をして、それにはかなり重い病気で1年前から病床にあったとか、初校には参考にしたとの記述があったのに、二校以降にそれがなくなったなどの、さまざまな事情があったようですが、それでも依願退職という措置がとられたということです。盗作・剽窃はいわばカンニングにあたるのですから、停学なり、退学なりの処置がとられてもおかしくはないほどの重大な事柄です。ぜひ心してほしいと思います。
というわけで、自分で料理を作らなければならないわけですから、さて何を作ろうかという献立(構想)が立てられなければなりません。それにはまず懐具合というのも、切実な問題でしょう。大きなテ−マに挑戦するという意欲も必要ですが、自分の資質や能力、あるいは時間的余裕といったことををみきわめることも大切です。
また、今まで食べたことも見たこともない、ただ人の噂に聞いたことがあるという程度で、ただなんとなく食べてみたいなと想像していただけの料理を作ってみようというのではどだい無理な話です。一度食べたことがあるとか、せめて、料理の本を見て、大体こんな料理なんだというイメ−ジが湧くようなものでないかぎり、まずは成功しないでしょう。といって、何度も作った経験があるというようなものは、おそらくリポ−トか感想文程度のものであって、諸君にとっての論文は、初めての料理に挑戦するようなものとなるでしょう。
ですからどんな料理を作るかということを決定するのはなかなか容易なことではないはずで、食べたことがあるとしても、自分で作れるかどうかを料理の本を読んで調べてみるとか、レストランのウインド−に行って確認するとか、先輩の話を聞くとかといった作業が必要になるはずです。すなわち論文のテ−マを決めるには、それ相応の努力が必要で、あらかたのイメ−ジが出来上がっていなければならないわけです。例えば、原始仏教のヨ−ガを研究したいというのに、まだ一度も原始経典を読んだことがないとか、ヨ−ガというものが近頃はやりだからといった程度のことでは、テ−マどころの騒ぎではないということです。
何を作るかという料理を決定するときには、どんな材料と道具が必要で、どのように調理し、どれくらいの手間暇がかかり、どれくらいの予算で出来上って、仕上がりはどのようになるのかといった具体的なイメ−ジがつかめなければ準備に取りかかれないように、論文も、どういうテキストを使い、どういう学問方法で処理し、どういう手順で、期限までには纏まるであろうといった、おおよその構想ができてこそ、はじめてテ−マといえるのです。
それでは「『嘆異抄』における倫理の研究」というテ−マならどうでしょうか。これなら材料が決まっていていかにも具体的なようですが、実はこれでも十分ではありません。ここでいう「倫理」をどのような概念として把握するのか、概念を「悪人正機」という次元での「善」と「悪」というふうに限定したとしても、それではこれをどのような学問方法で処理するかという問題が残っているからです。
したがって、先に書いた「材料」や「道具」「予算」「調理方法」「手順」はまさしく具体的なものでなければならないわけで、もしこれらが具体的な段階に達しているとするなら、「原始仏教におけるヨ−ガの研究」とか「『嘆異抄』における倫理の研究」といったボンヤリしたテ−マにはならないはずなのです。このようにテ−マの決定ということは、ほとんどその論文を決定してしまうほど重要ですから、軽々しく考えないでください。またテ−マを決定するためには事前にじゅうぶん用意をすることが必要ですから、出来るだけ早い時期から取り組んでほしいと思います。
※阿毘達磨仏教では瑜伽師(yogacara,yogin)が独特の位置を占めて、一目置かれており、それが大乗仏教の瑜伽行派につながっていくという可能性も指摘されています。したがってこれを原始仏教までさかのぼって調査する価値も十分にあるのです。
資料収集
そこで、一生一度の記念になるような和風ステ−キを作ってみようということになったとします。卒業論分は、大概の人は一生に一度の体験なのですから、是非とも手間暇をかけた豪華なものにしてほしいと思います。しかし、牛肉にもピンからキリまでさまざまあって、どういう肉かを決めなければなりません。素材は贅沢なものでなくとも、調理に手間暇をかければおいしいものも作れるはずです。あるいは一生に一度の事なのだから、思いきり豪華に松阪牛にして素材を生かすということも考えられます。ともかくテ−マの決定には慎重な準備が必要ですから、教師にもよく相談してください。ここでは、松阪牛のステ−キということにしておきましょう。
そこで肉屋さんにいくことになりますが、そうそうどこにでも松阪牛が置いてあるとは限りません。インド関係の書物も仏教学のものも、どこのどんな図書館にでも本屋さんにでもあるとは限りません。専門図書館・専門店というものがあります。別に紹介しておきましたから、それを見てください。また松阪牛もさまざまですから、これは肉屋さんと相談するのがよいでしょう。これがお徳用だよとか、ステ−キにするならこれがいいよ、少し厚めに切っておこうなどということになるでしょう。専門図書館や専門店の人は、学者に負けない豊富な知識を持っています。遠慮しないで相談してみてください。様々な情報が得られるはずです。
また肉ばかりでは味もそっけもありませんから、当然の事ながら、つけ合わせも必要ですし、パンにしようか御飯にしようかとか、ワインも買おうということになるかも知れません。また肝心のステ−キにしても、ただ焼けばよいというものではないでしょう。それではせっかくの松阪牛が台無しです。焼き方やソ−スといった味つけに大いに力を入れて、松阪牛の持味を引き立たせてほしいと思います。
また、そのためにはつけあわせにも、ワインにも気を使う必要があるでしょう。あるいはせっかくの肉を焦げつかせてはいけませんから、それなりのフライパンも必要でしょう。にんじんも形よく花形に切るという工夫も必要かもしれません。しかし現在では様々な便利な道具が出ておりますから、これを最大限度に利用するとよいでしょう。インド学・仏教学の分野でも、索引や辞典・目録など様々なトゥ−ルができておりますから、有効に利用してください。
じつはメインディッシュのステ−キだけでは、そうそう特徴が出せるものではありません。どのように調理するかというのが方法論に当たります。洗練されたものに仕上げるのは、学界の水準に達しているかどうかです。その上で、独自の味つけを施さなければなりません。このようにテ−マを決定して、さあ作業に入ろうという前にやらなければならないことがたくさんあるのです。
そのためには勉強が大切で、自分の味を作りだすためには、本を読んだり、専門家や先輩に聞いたり、あるいは日頃の料理の経験が役に立つのです。前記の松阪牛にあたる素材(テキスト)や道具類をハ−ドウエアだとすると、こうした道具を使ってや素材を生かすノウハウの蓄積をソフトウエヤということになります。じつはハ−ドウエアもさることながら、このソフトウエヤこそが料理の決め手になると言ってよいでしょう。
論文もこれと同じで、自分のテ−マにあった参考書や研究書・学術論文などの材料を図書館や書店から仕入れたら、これを読んでカ−ドにとったり、パソコンに入力したりという、資料の収集作業がつぎに続くことになります。実はこうした作業を繰り返すことによって、構想はいよいよ具体性を持つことになってくるのです。ひょっとすると、初めに立てた構想に無理が見つかって、修正しなければならないというはめに追い込まれることになるかも知れません。しかしそれは大いにありうることで、従って早い目早い目に準備をする必要もあるということですが、ここまで作業が進んでおれば、微調節ぐらいなら簡単にいくはずですし、たとえ方針を変えるにしても、新しいテ−マはすぐに見つかるはずです。初めに立てたテ−マに無理があると認識できたとすれば、それはしっかりしたテ−マをたてられる実力が既に付いたということを示すからです。
時間配分
以上のような作業の時間配分がどのようになるかを、今度はマラソンに例をとって説明しておきましょう。
まず、テ−マの決定が42.195キロのスタ−トだと考えてください。そうすると、テ−マを決定するまでの、さまざまな準備はまさに準備運動ということになります。この準備運動が十分でないと、途中で横腹が痛くなったり、足を痙攣させたりといったアクシデントにつながります。途中棄権といった最悪の自体にならないように、準備は少なくとも3年生になったころから始めるべきでしょう。
しかしながら大抵の人は、この準備作業を始めることが、卒論のスタ−トだと勘違いしているふしがあります。4年生になって卒論のテ−マを届け出るという段になって、さて何を食べようかと考え、肉料理にでもしようという程度で、ぼんやりしたテ−マを届けるというのが、一般的な傾向だからです。ところが、これではスタ−トラインにはまだついていないわけで、そこで夏休みの終わりの合宿になっても、まだ目処がつかないということになるのです。たいていはこのころにやっと、テ−マという段階に到達しているように見えます。もうすこしsevereにいえば、卒論の提出時が本当の意味でのテ−マ決定の時期であったというのが、真剣に取り組んだ人の感想ではないかと思います。書きおえた時にやっと卒論というものがどういうものであったのかがわかった、やっとどういうことをやりたかったのかがはっきりしたという言葉を聞くことが多いからです。ましてや卒論の口述試問で論文というものはどういうものであるかを説教しなければならないとすれば論外です。
今までは、卒業論文の審査基準が相当甘かったから、大方の人は卒業できたものの、これからはゼミで十分に指導もできるということで、厳しくして行く方針です。平成3年の7月に大学設置基準が改正されて、大学卒業の学士号は、「学位」として認められることになったのですからなおさらです。
ですから、4年生になってテ−マを届け出るというそのテ−マは、今まで説明してきたような、厳密な意味でのテ−マにしてほしいと思います。
それが本当のスタ−トで、それからハ−ドウエア・ソフトウエア両面の資料収集という基礎的作業が、マラソンで最もつらいといわれる35キロ地点まで続きます。ソフトウエアを収集する作業を続けると、あらたなハ−ドウエアの必要性が生じてき、ハ−ドウエアが充実すれば、ソフトウエアの収集作業が増えるという具合で、これには完璧を期すれば限度が無いといってよいでしょう。しかし論文制作作業にはこうした地道な作業が最も大切なのです。
これが過ぎれば、あとは10キロたらずで、おそらく中途棄権という事態は避けられるでしょう。すなわち落第点をとるということはないであろうということです。そこで資料の整理と構想をたてるという段階になります。この時点がいつもおこなう、夏休み終わりころの合宿での中間報告に当たるでしょう。こうして二度三度の下書きといった最後の心臓破りの丘にさしかかることになります。このへんでメダルに手が届くか届かないかのあらかたの順位は決定します。
そして清書にとりかかれれば、それはもうゴ−ルの競技場に入ったも同然です。
念には念を入れて、以下に今まで述べてきたことをもう少し詳しく、具体的に説明することにしましょう。
4、テ−マの決定
上述した注意事項が守られておれば心配はないでしょう。しかし、一般的な注意事項として以下のことがいえると思います。
(1)包括的、総体的、抽象的なぼんやりしたテ−マではなく、問題の所在が明確で具体的なテ−マを設定すること−−問題点がはっきりしていればいるほど、具体的で細かな題目になるはずです。問題の所在や方法論・論文の視点などが題目から自ずからに推測できるようなものが理想です。
(2)大風呂敷を広げるのではなく、控えめなテ−マを選ぶこと−−時代、人物、資料など出来るだけ限定すること。「何」を使って、「どういうこと」を「どのように」「どこまで」調査研究するかの見極めが大切だということです。
(3)比較研究は出来るだけ避けること−−一つのものが確立して初めて比較が出来るのですから、初めから比較は無理でしょう。
(4)ある程度過去に研究実績が積み上げられた分野のテ−マを選ぶこと−−全く未開拓の分野を切り開くのが研究であるわけですが、卒業論文の段階ではそれは少し無理でしょう。といって、あまりにポピュラ−になり過ぎている分野では、新味を出すのに苦労します。もっとも自分は学者になるのではない、優秀論文をとる必要もない、ただ勉強したいというのならば、それでもよいでしょう。しかしその時でも、少なくとも学的水準に近づいているというレベルにまで達することは必要です。あるいはリポ−トとしては最高というレベルと言い替えてもよいでしょう。
(5)テキストの注釈的研究−−和訳を施し、注釈を施すというのでは、厳密な意味では研究になりませんが、しかしそれがまず研究の出発点ということも出来ます。またこれは地道に時間をかければ着実に成果も上がりますから、卒業論文のテ−マとしてふさわしいともいえます。事実概して成績評価は高かったように思います。
なお、具体的なテ−マを決めるコツは、問題点の所在を明確に把握することです。それでは問題点をどう把握するかといえば、相手を良く知ることです。相手を良く知るということは、たとえば『歎異抄』を題材に選ぶとすれば、『歎異抄』を何度も何度も繰り返してよく読むということです。当たり前のことですが、これがおろそかではよい論文は出来ません。テ−マの設定には近道はないということです。
また方法論については一言しておく必要があるでしょう。印度哲学科の卒論の学問的方法論には以下のようなものがあるといってよいと思います。すなわち、文献学、哲学、比較哲学、歴史学、文学、宗教学、宗教社会学などです。
したがって例えば、道元の著作を心理学的に分析して、論文を書くといったテ−マは大いに興味がありますが、これは道元という仏教分野の人物であったとしても、その学問の方法論が心理学ということで、印度哲学科の方法論にはなじまないから適当ではありません。これと同じように、円覚寺舎利殿の研究というテ−マで、その歴史的研究をするなら許されますが、これを建築学的に行うことは適当ではないということになります(但し多分に便宜的であり、これらを心理学、建築学の専門家に指導していただく機会があるならば、許されるかとも思います)。
もっとも文学部の場合は、社会科学や自然科学と違って、方法論といったものが明確ではありません。したがって、手順がしっかりしているとか、「何」を「どこ」まで「どのように」やるのかという目的意識が明確であるということぐらいに受け取っていただいて結構です。
なお、以下の説明は、主に哲学的な方法論を採る場合の手引と考えてください。
ハ−ドウエアの収集
まず当該分野の「文献目録」などで、どのような著書や論文があるか調べて、それを図書館、書店などを有効に利用して集めてください。
仏教学関係の文献目録には次のようなものがあります。
「仏教学関係雑誌論文分類目録氈@自明治初期 至昭和5年」竜谷大学図書館編 百華苑刊 昭和6年(180.31:R:1)
「仏教学関係雑誌論文分類目録 自昭和6年 至昭和30年」竜谷大学図書館編 百華苑刊 昭和36年
「仏教学関係雑誌論文分類目録。 自昭和31年 至昭和44年」竜谷大学仏教学研究室 永田文昌堂 昭和47年
「仏教学関係雑誌論文分類目録「 自昭和45年 至昭和58年」竜谷大学仏教学研究室 永田文昌堂 昭和61年
「雑誌記事索引」国立国会図書館監修(これには累積索引版〔人文・社会篇〕や年度別、月別などがあります。月別が最も新しい情報です)
「東方学関係著書論文目録」東方学会(毎年刊行、1991年版が第38号です)
「仏教学論集総覧」国書刊行会
「仏教学関係雑誌文献目録」国書刊行会
「東洋学文献類目」京大人文研(毎年刊行、220.031:K)
`Bibliogaraphie Buddhique'(180.31:HS)
`Shinsho Hanayama's Bibliogaraphy on Buddhism'
`Religions and Philosophies'Hajime Nakamura
また、図書館のリファレンスカウンタ−の文献紹介サ−ヴィスも利用してください。国会図書館の
NACSIS=IR や CD=ROM
が利用できます。また丸善や紀伊国屋のなどの文献検索サ−ヴィスもあります。但しこれは有料です。
なお、「戒律」関係なら
「戒律関係文献目録」(『戒律の世界』所収 森章司編 渓水社 平成5年5月)
というように、主題別の文献目録が編集されていることも多いですから、このようなものが発見できると便利です。
また仏教学関係の図書を多く所蔵する図書館は、なんといっても仏教系の大学図書館です。大学院生には相互利用システムがあり、互いに閲覧カ−ドを発行しているくらいで、学部生にも比較的利用しやすいと思います。大正大学・駒沢大学・立正大学など都内の大学には気軽に出向いてください。そのほか、
東洋文庫(〒113 文京区本駒込2-28-21 エ3942-0121 要紹介)
国立国会図書館(〒100 千代田区永田町1-10-1
エ3581-2331 20歳以上)
東京大学総合図書館
立正佼成会付属佼成図書館(〒166 杉並区和田1-6-1
エ3203-4141 16歳以上なら誰でも利用できる)
成田山仏教図書館(〒286 成田市成田312 エ0476-22-0407)
三康図書館(〒105 港区芝公園4-7-4 明照会館ビル エ3431-6073)
国際仏教学研究所図書室(〒105 港区虎ノ門5-3-23 エ3434-6953
限定−要紹介)
曹洞宗宗学研究所(〒154 世田谷区駒沢1-23-1 エ3422-6111
特定)などがあります。これらの図書館は一般利用ができないことが多いですから、それなりの準備ををしてから出かけてください。
また、直接出向かなくとも、それぞれの図書館の「所蔵目録」などで手に入れたい本(雑誌)が所蔵されていることが確認できれば、図書館のリファレンス係を通してコピ−を依頼することもできます。
そのほか、仏教関係の書物を多く置いている専門古書店も知っておくと便利でしょう。
小林書房(神田神保町)−和書(通信販売が主です)
一誠堂書店(神田神保町)−和書・洋書
東洋堂書店(神田神保町)−和書
山喜房仏書林(東大赤門前)−和書
中山書房(湯島)−和書
穂高書店(神田神保町)−洋書(通信販売が主です)
ナガラ書店(本郷)−洋書(通信販売が主です)
以上に紹介した、さまざまな道具や機関を使って、基本的な図書資料が手に入ったら、次にそうして得た研究書や論文を読んで、どのような図書・論文を参考にしているか、どのようなものを引用しているかを調べてください。註のところを一瞥するだけでもかなりのリストアップができるはずです。実はこうした作業が当該分野の研究に必要な著書論文のリストを作る最も手っ取りばやくて、しかも最も有効な手段です。芋蔓式に必要不可欠な著書論文の名前を知ることができます。
(「ゼミ研究発表及び卒業論文資料の探し方、あるいは図書館利用の仕方」も参照してください)
ソフトウエアの収集
次に、というよりもそれと同時に、これらの文献を読んで、カ−ドに採るなり、ノ−トするなり、コンピュ−タに入力するなりの作業をしてください。一度読んだものも、数日すると忘れてしまいますし、変な先入見を植えつけない方がよいという面もあって、むしろ忘れた方がよいということもいえますから、上記のうちのいずれかの手段をとることは不可欠だと思います。しかしノ−トはつながっていて切り離せませんし、一ペ−ジにたくさんの情報を記入することになって勧められません。現在ではパソコンを利用するのが最もよいのでしょうが、私はその方面には通じていませんし、基本的にはカ−ドと同じではないかと思いますので、以下にカ−ドをとる際の注意点を略記しておきます。
一項目一カ−ド主義……一枚のカ−ドには一つの情報のみを記入することです。次の「項目」に当たるものが、一枚のカ−ドにいくつも立てられるというのではまずいということです。しかしやむを得ない場合もありますから、その時には同じ内容で、別の項目のカ−ドを作っておくとよいでしょう。こういうときにパソコンは簡単に複写が出来ますから大いに威力を発揮するのではないかと思いますが、手書きのカ−ドを採る時にはそうはいきませんから、その内容に行き着けるように参照カ−ドを作っておいて、内容は一枚だけに止めるというのでもよいと思います。なお、カ−ドに記入する内容は、書物から転記する場合はその文章ということになりますが、文章が長い場合は内容を略記しておけばよいでしょう。
索引項目を記入すること−−そのカ−ドを後になって捜し当てるときに、それを最も検索しやすいような「項目」を立てるということです。要するに、何かを調べたいというときに、学術著作等についている索引を引くことが多いと思いますが、その時に自分が調べたいと思うことが的確に出て来るような「索引項目」を付けるということです。
カ−ドの大きさはほどほどに−−カ−ドをとるコツはできるだけ贅沢にカ−ドを使うということにあると思います。そのためにはあまり大きなカ−ドは不都合です。またあまり大き過ぎると保存や整理にも不便です。京大カ−ドか葉書大あたりが適当でしょう。
カ−ド万能主義−−「日記」など日にちが優先する情報など、別の目的による分類がなされる場合には適当ではありませんが、「項目」で検索できる事項なら、気付いたこと、考えたことなど、とにかくなんでもカ−ドに記入しておくとよいでしょう。
原資料を明記する−−著書論文から転記したカ−ドは、一枚一枚のカ−ドに書名・著者・発行所・発行年月日(論文名・筆者・雑誌名・号数・発行年月日)とペ−ジを記入しておきます。その際、一冊の書物(論文)から何枚ものカ−ドを取る場合には、著書ないし論文名の「略称」を作っておいてそれを書いておくと、手間が省けてよいでしょう。そなためには別に「書名カ−ド」(著者、出版社、刊行年月日など)を作っておく必要があります。なお、20年、30年のタイムスパンを念頭に置くとすれば、カ−ドにゴムの日付印ででも採取の年月日をつけておくと何かの参考になります。
なお、上記は主に研究論文などの第二次資料を念頭において説明しましたが、印度哲学科の論文はなんらかの経や論あるいは祖師の研究が多くなります。その時にはこれら三蔵や祖師の書いたものが第1次資料ということになります。要するに文献を対象とした研究となるわけですが、思想研究をする場合なら上記のような要領でよいと思います。しかしこの場合に最も重要なのはこの第一次資料であることはいうまでもありません。論文を成功させるためには、この第一次資料を綿密に、そしてできるだけ広い範囲で、できれば二度三度と読み込んで、カ−ドに取ることが必要です。
第二次資料は調味料やスパイス、あるいはせいぜい付けあわせであって、メインディッシュである肉を活かすための副次的なものであることを忘れないでください。調味料やスパイスだけでは料理にもならず、腹の足しにもなりませんが、上質の肉さえあれば、それ自身に風味があって、ともかく形にはなり、腹もふくれるようなものです。第二次資料は、まずは学界の水準に近づくための教材であって、論破の対象、あるいは自分の見解がいかに独自性を有しているかの証明役として使えればシメたものです。しかし、現実には自分の立論の補強に使わざるを得ないこともあるでしょう。あるいは、ヒントを与えられることもあります。このようなときにも、正直にこれを明記するようにしてください。
なお、第一次資料は和訳や現代語訳を使うのではなく、ウ−ルテキスト(原資料−−端的に言えば、多くの場合、翻訳されたものでない原本)を使うのが原則になります。その場合でも、信頼できるテキストとそうでないテキストがありますから、単に手近かにあるものを使うといったことは避けて、慎重に選んでください。またやむを得ず、和訳や他の近代語訳を使うという場合でも、必ずウ−ルテキストは用意して、論文の本文中に引用する文章くらいは、原文に当たって確認するぐらいのことはしてください。
構想を伴った整理
主題別の分類は、所期の論文の構想にしたがって、いわば「章節」とか「小見出し」に相当する項目のもとに、カ−ドを分類することといってよいでしょう。
そのためには一度とったカ−ドの全部に目を通すということが必要になります。こうした作業を繰り返すことによって、大きな項目から、小さな項目に分類し換えていき、自然に構想が完成に近づいていきます。こうして束になったカ−ドが章・節・項の核になるわけです。
なお、こうした作業中にも気がついたこと、思いついたことをその都度カ−ドにとっていくと、これが資料と資料をつなぐ文章となり、下書きをするときに大いに役立ちます。またそれが自分の独創的な部分ともなるわけです。
このような作業をやってみると、手薄な部分や、新しい問題点・疑問点が、改めてクッロ−ズアップされてくるはずで、従ってこの時点でまた、小規模なハ−ドの資料収集から、ソフトの資料収集といった作業を繰り返す必要が出てくるでしょう。こうして構想はいよいよ具体的に、より完全になり、下書きの準備が着々と整っていきます。そうしてこうした作業の帰結として、あるいは総体として、今までにはない独創的な学説が帰納的に生まれて来るのです。従来の学説(第2次資料)や、ウ−ルテキスト(第1次資料)の資料が全部手元に集まって、総体として判断する材料がそろうからです。
たしかに、ある予測をもとに実験を繰返し、調査するという演繹的な方法もないわけではありませんが、人文科学の分野では、やはり「帰納的」「実証的」な方法論を取ることが必要でしょう。もちろんテ−マを設定する時点で、相当の準備が進んでいなければならないわけで、その時点で一定の結論を想定することは許されます。もしそれがなければ闇雲に、行く方も定めずにガムシャラに進むということになってしまいます。したがってここにいう「帰納的」方法論というのは、最終的な結論を下すとき、無理があってはならないということです。もし、予想した結論が実証されなかったならば、それは壮烈なる失敗ということになります。もっとも、卒論は外部に公表するものではないので、個人的にはその経過を尊重して、その失敗を大いに多とすべきではないかと思っています。
なお、すべてのカ−ド資料が原稿に生きるとはかぎりません。捨てなければならないものの方が多いでしょう。また採用するにしても、本文中に活かさなければならないものと、註で処理してよいものとを区別してください。
8、清書と提出
最後の作業が清書であり、製本です。
清書するときの注意事項をいくつか掲げておきます。
原稿用紙はとくに差しさわりがないかぎり、B−4判の400字詰め(B−5の場合は200字詰め。タテ書き、ヨコ書きどちらでも可)を使うこと−−400字詰めの場合は、原則としてこれを半分におり、これをB−5判の大きさにして表紙をつけてください。
ワ−プロの場合は、B−5判にして、できるだけ大きな文字サイズにしてください(ただし、倍角にする必要も、原稿用紙にあわせる必要もありません)。
目次をつけること−−前書き、章・節・項の名前、後書きをかかげ、ペ−ジをつけてください。
はじめに(前書き) ペ−ジ
序論 〃
第1章 ○○○○○
第1節 ○○○○○ 〃
第2節 ○○○○○ 〃
……
……
第2章
第1節 ○○○○○ 〃
第2節 ○○○○○ 〃
……
おわりに(後書き) 〃
論文に参考文献リストは不要ですが(引用の都度註に記しますから)、特に恩恵を蒙った書物があれば、はしがき、あるいは後書きに書くとよいでしょう。しかし頻繁に引用する文献資料があって、略名を使うといった場合には、論文の冒頭に(目次の前あたり)、あらかじめ注記してください。この場合には、註のところでいちいち発行所や発行年を書く必要はありません。
註をつけること−−節(あるいは章の)終わりに註をつけてください。註には、引用文献の著者(執筆者)、書名(雑誌名、巻号数)、発行所、発行年月日、ペ−ジなどとともに、本文中に書くには適当ではないが関連事項として、どうしても書いておきたいというものをどんどん書いて置くとよいでしょう(卒業論文ですから、少々余計なものでも許されるのではないでしょうか)。
原稿用紙は常識的な使い方をすること−−その決まった作法というものはありません。論文の内容に合わせて工夫してください。しかし、段落をつけ、引用文をそれと判るようにすることは、最低限必要です。また章が改まるところで、ペ−ジを換えた方がよいでしょう。
上記のような事柄は、学術雑誌の論文を参考にしてください。しかし資料収集の段階で、数多く論文を読んでおれば、これくらいのことは自然に会得しているはずです。
製本は製本屋さんのしっかりしたものというのが理想ですが、手作りでも結構です。しかし読んでいる最中にバラけてくるようでは困りますから、黒表紙をとじ紐でとじるといったお手軽な製本は避けて欲しいと思います。
そしていよいよ提出ということになります。論文は二部提出することになっていますから忘れないでください。また提出期限は厳密に守ってください。病気などで遅れる場合は必ず事前に連絡をし、事後に診断書を提出してください。そのほか、様々なアクシデントがあるかも知れませんが、その時にも事前に、研究室の助手に指示を仰いでください。特別な事情がないかぎり、一日でも遅れた論文は受け付けません。
続・論文の書き方
森 章司
1993年度のゼミ紀要に「卒業論文の書き方」という原稿を載せてもらいました。その時にはオーソドックスに、まず資料をカードにとって、原稿用紙に原稿を書くという方法を説明したのですが、その一年ほど前からワープロを使い始め、また去年の夏からパソコンを使い始めて、私自身、カードを取り、原稿用紙の枡目を埋めるというような形では原稿を書かなくなりました。そして実はそのために、私の論文も変わってきていると感じるようになりましたから、その経験を皆さんに紹介して、参考にしていただきたいと、今キーボードを叩いています。
今感じていることを端的にいいますと、私の論文に体系性が失われつつあるのではないかという懸念があります。しかし論文が出来上がるスピードは上がったかなという感じもあり、これは利点でしょう。
従来通りのカード方式は、取ったカードを部屋一杯に並べてあっちにやったり、こっちにやったりできるという点で、一覧性に勝れています。そしてこの一覧性は、全体が容易に把握できるという利点と、全体を把握しているという安心感があるという利点に結び付いています。
また、カードをあっちにやったりこっちにやったりするという作業は、論文の構想、章節を立てるということに直結し、そういう意味では体系的な論文になりやすいという利点となっているといってよいでしょう。
しかし、この方法で論文を書いていたころは、まず粗い下書きを使用済みの原稿用紙の裏に書き、これを元に原稿の枡目を埋めていくという下書きに入り、さらにこれを清書するという三段構えでした。
最初の原稿用紙の裏を使う粗い下書きの段階は、章節ごとに分けてあるカードを原稿用紙の該当箇所にクリップで留めたりしながら、つなぎの文章を書いていくという、主に論述の骨子をまとめるということが主眼となっていました。しかしこの段階となって、過不足が見つかり、またしばらく資料を収集するという作業が必要となるというケースもまれではありませんでした。といってもここまで来ておれば、追加資料の収集も、ごく具体的なものですから、一週間や十日もあれば十分です。
第二段階は、それを元にきちんとした文章を書いてみるということで、初めは清書のつもりで丁寧に書き出すのですが、やっぱりそれでは表現において不十分であり、また説得力がないという場合には、順序を変えたり、また注を割り込ませたり省いたりして番号が変わってくるというようなこともあって、第三段階を必要とするというのが、ほとんどでした。第三段階はいわば純然たる清書で、論理というよりも、読んでもらう際の配慮、即ちレトリックや体裁を整えるという作業です。
しかし、第一段階に達すれば、もう論文はできたも同然で、それ以降の作業はむしろ楽しんでやれたといってよいでしょう。
これに対して今は、カードをパソコンソフトのファイルメーカープロ(マッキントッシュ用)を使って、パソコン上でとっており、原稿用紙を使って論文を書くということもやっていません。
まずカードについては、ほしいカードはあまり苦労しないで出てきますが、別のカードを画面上に同時に現すことはできませんから、一覧性ということには劣ります。また、パソコン上のカードは取った順序で並んでおり、これを何らかの基準で分類して順序を並び変えるという作業には不向きです。しかしながら、カードを原稿上に取り込むことは簡単ですから、思いつくままに、文書の上にこれを移し替え、間に新しい文章を挟んでいくと、自然に清書した原稿らしきものとなるという利点があります。ようするにパソコンは一覧性と分類性には劣るけれども、文書作成能力に勝れるといってよいでしょう。
ところが、これはカード全体を何度も何度も読みなおし、分類を重ねていって、全体の章節を構成した結果できた原稿ではありません。全体のイメージができていないうちに文章を作ってしまうという危険性にさらされていますし、構想ができているつもりでも、目の前にその具体的な全体資料がありませんから、文章を作っていくうちに、構想が曖昧になっていくということがしばしばです。したがって全体の減り張りがなく、だらだらとした論文となる危険性があります。私の論文に体系性が失われつつあるのではないかという感じがあるのはこのためです。
このようにカードを取って原稿用紙に万年筆で原稿を書くという従来のやり方と、パソコンソフトを使って原稿を書くという作業方法には一長一短があります。したがって、これをうまく組み合わせるということが必要なのでしょう。そこで現在は、次のようにやっています。
まず、現実的に私は過去三十年余にわたって、昔の5円ハガキ大のカードを使ってきました。これが特注の引き出しが24あるカードボックスと引き出しが14あるカードボックスの2つにたまっています。枚数はちょっと見当がつきません。引き出し一つにカードは優に1000枚は入りますから、5万枚くらいかも知れません。したがって今更改めてこのカードをパソコンに入力し直すということはできません。否でも応でも、このカードとパソコン上のカードの2種を使わなければならないということになります。
しかしパソコンは一覧性に劣るわけですから、そして必要なカードをカードボックスから抜き出して、これを改めてパソコンに入力するという手間よりも、パソコンに入力したものをすべてプリントアウトしたほうが簡単ですから、これをプリントアウトして、これと旧来のカードと組み合わせて、従来のように部屋中に拡げて何度も何度も組み合わせを試行錯誤しながら、章節の構想を立てています。
ただ、パソコン上のカードはB5版にしているため、ハガキ大の少し厚目のカードよりは扱いにくさがあります。また、一枚のカードの情報量がカードよりも多くなる傾向があって、同じカードとはいっても少し性格が変わってきているという事実もあります。パソコン上のカードもハガキ大のカードにし、これを従来使ってきたカードにプリントしようとしてみましたが、私の使っているプリンターは、カードやハガキに関しては、一々手差しで送ってやらなければうまくいかないという欠陥があってあきらめました。
また、今の段階ではパソコンに入っている情報量は知れたものですから、そのすべてをプリントアウトしてすみますが、量が多くなると経費も時間もばかにならなくなるでしょう。プリントアウトしたものを保存しておくというのでは何のためのパソコンかということにもなりかねません。
したがって、ファイルメーカープロでカード入力するときに、分野などによって、あらかじめおおまかに分類しながら、蓄積していくファイルを別にするという必要性があるのではないかと考えています。例えば私の今のカードボックスは「原始仏教」「阿毘達磨仏教」「戒律」「大乗仏教」「一般」「文献」という区分になっていて、余計なことですが「仏教比喩例話辞典」を作ったときに、「比喩」資料を取るための別のA−6サイズのカードを作りましたから、これも別になっています。これらをそれぞれアルファベット順に配列しているわけですから、パソコン上のカードもそれぞれ分野に応じて作っていけばよいわけです。
しかしながらそれでもカードが何万枚という単位になるとおっつかないでしょう。同一ファイルのなかで、また項目を分けるなどということが必要になってくると思います。本当は今からこれを考えておかなければならないのでしょうが、現状はそこまでいっておりません。
このようにパソコンのカードが多くなってくると、従来の部屋一杯式の作業はできにくくなってくるということが考えられます。しかもパソコンの文章作成能力があいまって、つい全体の構成をしっかりと作らないままに論文ができ上がってしまうという危険性にさらされています。今の私には、まだ経験不足ということもあって、その有効な対応策ができていません。
ともかく、パソコンの使用にともなって、論文の書き方も変わってきつつあるという「あるがまま」の現状を報告しました。参考になれば幸いです。
1995、11、30