(4)栃木市(栃木県,2003.09)

江戸時代はじめ,利根川を上ってきた日光東照宮造営の資材が陸揚げされ,
日光例幣使街道の宿場町として機能した栃木市は,多くの蔵が残っている.

見学場所

1)とちぎ蔵の街観光館
旧日光例幣使街道沿いの,店蔵を改造した観光協会の建物.
観光マップなどが揃えられているとともに,そば,お土産の販売,
文庫蔵の展示など,観光の拠点として整備されている.
観光客の出発点として,十分な機能を果たしているのではないか,と考える.
また,独自の物産を取り扱うなど,積極的な取り組みをしている観光協会ではないだろうか?

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左:右の建物が観光館.左に小さく見える門を中から見たのが,次の写真.
右:日光例幣使街道の街並み.街並み整備事業等により電線の地中化,カラータイル舗装など整備が進む.

2)塚田歴史伝説館前の綱手道

00451.jpg (56136 バイト)代表的な景観が見ることができる地点.江戸末期に起こった木材回漕問屋.
「湧水もあり流れも速かったため、 江戸からの帰路は麻綱で舟を曳いてきました。 
川沿いの曳道が綱手道です。 川沿いには甍を並べる舟積問屋や豪商の倉庫が 
当時の面影を漂わせています。(市観光HPより引用)」

 

3)栃木下駄
栃木市は,広島福山市に次ぎ,静岡と並んで,下駄の三大産地と呼ばれていました.
会津桐と肩を並べるという野州桐,さらに野州麻と呼ばれる縄材がその生産に,例幣使街道を歩く
旅人が基礎的な需要となっていたようです.昭和20年代の最盛期には,多くの下駄屋が軒を連ね,
そして多くの下駄が駅までオート三輪で集配,電車に積み込まれ,東北地方をはじめとする各地に
送り出されました.現在では,栃木市在住の山本さんが表面に和紙を貼り付けることによって,
より鮮やかな下駄も作られています.和紙や鼻緒のデザイン自体が,画一的でないこと,その組み合わせが
無数であることから,2つとして同じものができないそうです(とちぎ蔵の街観光館で販売されています).
鼻緒をつけるのは奥さんの仕事ですが,「その組み合わせの中から,選んでつくるのは
とても楽しい」と仰っていました.また,山本さんの祖先は,江戸詰の藩お抱え塗師
(箕笠などを作られていたそうです)だったと伺いました.

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左:民芸ミニ下駄「鯉のいる街,蔵の街」栃木のお土産品として,蔵を建てるほどの財をなすようにとの
  願いをこめて「蔵下駄」,また赤子に履かせると足が丈夫になるとの言い伝えがあることから
  「力下駄」とも愛称されている.(栃木市観光協会チラシより)
右:山本さんが作成された大人用の下駄

 

感想
首都圏と直結する鉄道:東北線から逸れたことによる開発圧力の低下から,多くの
蔵が残っていると考えられる.首都圏に近いながら,歴史的観光資源が数多く存在する地域である.
水路への隣接形態は,千葉県佐原の重要伝建地区と似た雰囲気を醸し出す.
街中にある蔵の街観光館は,観光センターとして機能しており,(若干,情報提供が
弱い感があるが)観光客の利便性は高い.
課題として,1)観光資源としての魅力が高いものの,首都圏からのアクセスが若干困難であるため,
その対応策が重要,2)リピーター獲得の観点から,さらなる魅力の創出が重要である(街並みを
壊さない施策が重要),3)中高年の観光客が多くを占めるため,家族連れ,若年層の獲得が急務,
以上のことが,考えられる.

 

資料

 1)栃木市(栃木市の観光HP)
 2)栃木市観光協会

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